ビール中のエステル化合物の発生から飲用までの化学的変化

エステルはビールの香りを構成する化合物群であり、その生成から飲用までの過程で様々な化学変化を経て、最終的なビール香味に複雑な影響を与えています。

1.エステル化合物の発生:発酵における酵母の働き

エステル化合物は、主にビール酵母によるアルコール発酵の過程で生成されます。酵母は、麦汁中の糖分をアルコールと炭酸ガスに変換する際に、様々な副産物を生成しますが、エステルはその代表的なグループの一つです。

  • エステル生成反応: エステルは、アルコール有機酸が反応(エステル化反応)して生成される化合物です。ビール酵母は、発酵中にアルコールだけでなく、脂肪酸やアミノ酸代謝などを通じて様々な有機酸も生成します。これらのアルコールと有機酸が、酵母細胞内にあるアルコールアセチルトランスフェラーゼ(AAT)などの酵素の働きによって結合し、エステルが生成されます。
    反応式(例:酢酸エチル生成):
    エタノール + 酢酸CoA ⇌ 酢酸エチル + CoA
  • エタノール: アルコール発酵の主生成物
  • 酢酸CoA:脂肪酸代謝などの中間体
  • 酢酸エチル:代表的なエステル化合物
  • CoA:補酵素A
  • 主なエステル化合物とその香りの特徴:発酵中に生成するエステルは多岐にわたりますが、代表的なものとして以下のエステル化合物が挙げられます。
    エステル化合物 / 香りの特徴 / 関連するビールスタイル例
    ・酢酸エチル(Ethyl acetate) / 溶剤、接着剤、洋ナシ、フルーティー |/エールビール全般、IPA、ペールエール

・イソアミルアセテート(Isoamyl acetate) / バナナ、洋ナシ、キャンディ、フルーティー / ヴァイツェン、ヘフェヴァイツェン
・カプリル酸エチル(Ethyl caprylate) / リンゴ、柑橘類、ワックス、フルーティー / エールビール全般、ベルギービール
・カプリン酸エチル(Ethyl caprate) / ブドウ、ワイン、石鹸、フルーティー / ベルギービール、ストロングエール
・フェネチルアセテート(Phenethyl acetate) / バラ、蜂蜜、フローラル、甘い / ベルギービール、ストロングエール、一部のエールビール

  • エステル生成に影響を与える要因: エステル生成には様々な要因が関連しています。
  • 酵母の種類:酵母株ごとにAAT酵素の活性や有機酸生成能が異なるため、エステル生成量は大きく異なります。エール酵母(Saccharomyces cerevisiae)は一般的にラガー酵母(Saccharomyces pastorianus)よりもエステル生成能が高い傾向です。
  • 発酵温度:発酵温度が高いほど、酵母の代謝活性が活発になり、エステル生成量が増加する傾向があります。エールビールは比較的高温で発酵させるため、エステル由来のフルーティーな香りが強くなります。
  • 麦汁組成:麦汁中の脂肪酸やアミノ酸の組成や量がエステル生成の組成や量に影響します。
  • 酸素供給量:発酵初期に適切な酸素供給を行うことで、酵母細胞膜の構成成分である脂肪酸やステロールの合成が促進され、結果としてエステル生成量が増加することが知られています。ただし、過剰な酸素供給は酵母の増殖を促進し、エステル生成を抑制する可能性もあります。

2.熟成・貯蔵中のエステル化合物の変化

発酵後、ビールは熟成期間に入りますが、この間もエステル化合物は化学変化し続けます。

  • エステルの加水分解:エステルは、酸性条件下や酵素の働きによって、加水分解され、元のアルコールと有機酸に戻る反応が起こります。ビールは弱酸性であり、ビール中にエステラーゼ等の酵素も存在するため、熟成中にエステルの加水分解が徐々に進行します。
    反応式(例:酢酸エチルの加水分解):
    酢酸エチル + 水 ⇌ エタノール + 酢酸
  • エステルが加水分解されると、エステル由来の香りは減少し、アルコールと有機酸の香りに変化します。
  • エステルの再エステル化: 一方で、熟成中にアルコールと有機酸が再び反応し、再エステル化が起こる可能性もあります。ただし、一般的には加水分解反応の方が進行しやすいと考えられています。また、熟成中に生成された有機酸によってエステル組成が変化し、香りの質が変わることもあります。
  • エステルの酸化:ビールが酸素に触れると、エステル化合物が酸化され、ラジカル化する可能性が示唆されています。ラジカル化によって化学反応が進み、ビール中化合物も変化することになります。

3.飲用時のエステル化合物の知覚と変化

ビールを飲用する際、エステル化合物は主に香りとして知覚されます。ビールの温度によって、エステルの揮発量が変化し、香りの感じ方が変わります。一般的に、ビール温度が低いほどエステルの揮発は抑えられ、温度が高くなるほど揮発が促進され、香りを感じやすくなります。

まとめ

エステルはビールの個性を表現する重要な香味要素の一つです。酵母の選択、発酵温度管理、原材料の構成等を工夫することで、エステルをコントロールし、様々なビアスタイルに合わせて香りはデザインされています。

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