チョコレートの風味を決定づける最も重要な工程の一つです。収穫されたカカオ豆は、果肉(パルプ)に覆われており、そのままではチョコレート特有の風味がありません。微生物の働きを利用した発酵工程を経ることで、豆の内部にまで複雑な化学反応が起こり、チョコレートらしい風味が醸成されます。
1.発酵の目的と初期段階
カカオ(豆)発酵の主な目的
- 果肉の除去:甘く粘着質な果肉を分解し、豆を取り出し易くする。
- 豆の不活化:発酵熱と産生する酸により、豆の胚芽を殺し、発芽を防ぐ。
- 風味の醸成:豆の内部で様々な化学反応を起こし、チョコレート特有の風味を生成する。
発酵は収穫後すぐに、積み上げられたカカオ豆の山(ヒープ発酵)、木箱やバスケット(ボックス発酵)等の形態で行われます。初期段階では、酵母による嫌気的な発酵が優勢です。
- 微生物:主に酵母(Saccharomyces属等)が活動する。
- 発酵:果肉に含まれる糖(主にグルコースとフルクトース)が、酵母の働きによってエタノールと二酸化炭素に分解される(アルコール発酵)。この過程で、少量の乳酸や酢酸等の有機酸も生成される。これら代謝活動によって熱が発生し、発酵が進むにつれて温度が上昇する。
2.発酵の中期段階と後期段階
発酵が進むにつれて、酸素がカカオ豆本体に供給されるようになると、微生物の活動の中心が変化します。
- 中期段階:乳酸菌による発酵(微好気的)
- 微生物:乳酸菌(Lactobacillus属等)が活動を開始する。
- 発酵:残った糖やクエン酸等が乳酸菌によって乳酸に変換される。温度はさらに上昇し、pHは徐々に低下する。また、初期に生成されたエタノールの一部が酢酸に酸化され始める。
- 後期段階:酢酸菌による発酵(好気的)
- 微生物:酢酸菌(Acetobacter属等)が酸素を利用して活発に活動する。
- 発酵:エタノールが酢酸菌によって酢酸に酸化される。この反応も発熱を伴い、発酵温度は45~50℃程度に達する。酢酸の濃度が大幅に上昇し、pHはさらに低下する。この段階で、豆の内部への酢酸の浸透が風味形成に以降重要な役割を果たす。
3.カカオ豆内部での化学変化
発酵の進行に伴い、カカオ豆の内部では以下のような重要な化学変化が起こります。
- カカオ細胞の死滅:発酵熱と生成された酸(特に酢酸)が豆の胚芽を殺し、発芽能力を失わせる。
- 細胞壁の分解:酸や微生物由来の酵素によってカカオ豆の細胞壁が分解され、細胞間でも成分が混合されやすくなる。
- タンパク質の分解:プロテアーゼ等の酵素が貯蔵タンパク質を分解し、ペプチドやアミノ酸を生成する。これらの分解物は、後の焙煎工程でチョコレート特有の風味を生み出すための重要な前駆体となる。
- 炭水化物の変化:複雑な炭水化物がより単純な糖に分解される。
- ポリフェノールの酸化:カカオ豆に含まれるポリフェノール(アントシアニン、カテキン等)が酸化酵素(ポリフェノールオキシダーゼ等)の働きやpHの変化によって酸化される。これにより、豆の色が紫から茶色へと変化し、苦味や渋みが減少する。
- 風味前駆体の生成:タンパク質の分解によって生成されたアミノ酸と、糖の分解によって生成された還元糖は、後の焙煎工程でメイラード反応やストレッカー分解といった非酵素的反応を起こし、チョコレートの複雑な風味を生み出す様々な化合物(アルデヒド、ケトン、ピラジン等)を生成する。
4.発酵に影響を与える要因
カカオ豆の発酵の質と進行は、様々な要因によって影響を受けます。
- カカオ豆の種類:品種や産地等によって含有成分が異なるため、発酵の過程や生成される風味前駆体も異なる。
- 果肉の量と組成:果肉の糖度やpHが初期の微生物の活動に影響を与える。
- 発酵方法:ヒープ発酵、ボックス発酵等、方法によって酸素供給量や温度管理が異なり、微生物の活動や化学変化の速度に影響する。
- 環境条件:温度や湿度、酸素供給量等の環境条件が微生物の活動に影響を与える。
- 発酵時間:発酵時間は、豆内部の化学反応の進行度合いを左右し得る。
まとめ
カカオ豆の発酵は、酵母、乳酸菌、酢酸菌といった微生物が段階的に活動することで進行する複雑なプロセスです。この過程で、果肉の分解、カカオ豆の不活化、そして何よりも重要なチョコレートの風味を生み出すための前駆体が豆内部で醸成されます。タンパク質の分解、炭水化物の変化、ポリフェノールの酸化等、様々な化学反応が連鎖的に起こり、最終的なチョコレートの品質を左右します。