コーヒー豆の発酵

収穫されたコーヒーチェリーから果肉(パルプ)とミューシレージ(粘液質)を取り除くための重要な工程であり、同時にコーヒーの風味形成にも深く関わります。コーヒー豆の発酵は、伝統的に自然由来の微生物を利用した様々な化学反応を伴うプロセスです。

1.発酵の目的と方法

コーヒー豆発酵の主な目的

  • ミューシレージの除去:コーヒー豆を覆う粘着質のミューシレージを分解し、水洗や乾燥を容易にする。
  • 風味前駆体の生成:豆内部の化学反応を促し、焙煎後のコーヒー風味の源となる物質を作り出す。

コーヒー豆の発酵方法

  • ウェットプロセス(水洗式):パルプを除去した後、ミューシレージが付着した豆を水槽に浸漬し、発酵させる。
  • ドライプロセス(非水洗式):コーヒーチェリーをそのまま乾燥、発酵させ、後で脱穀する。
  • ハニープロセス(パルプドナチュラル):パルプを完全に取り除かず、一部を残したまま乾燥、発酵させる。ミューシレージの糖分が風味に影響を与える。

以下、最も一般的なウェットプロセスに着目します。

2.ウェットプロセスの発酵段階と化学的変化

ウェットプロセスにおけるコーヒー豆の発酵は、主に以下の段階を経て進行し、それぞれの段階で異なる微生物が活動し、特徴的な化学変化が起こります。

  • 初期段階(嫌気的発酵):パルプ除去後のコーヒー豆は、水槽内で酸素が少ない環境下に置かれる。
  • 微生物:主に酵母(Saccharomyces属、Pichia属、Hanseniapora属など)や、乳酸菌(Lactobacillus属、Pediococcus属)、腸内細菌科(Enterobacteriaceae)の細菌等が活動する。
  • 発酵:ミューシレージに豊富に含まれる糖類(グルコース、フルクトース、スクロースなど)が、これらの微生物によって分解される。その結果、乳酸、酢酸、酪酸、プロピオン酸、ギ酸などの様々な有機酸、エタノール、二酸化炭素、そして多種多様な揮発性化合物が生成される。この初期段階では、pHが急速に低下する。また、微生物が生産するペクチン分解酵素(ペクチナーゼ)によって、ミューシレージの主成分であるペクチンが分解され、粘度が低下する。
  • 後期段階(好気的発酵):水槽内に酸素を供給し、微生物の活動中心を変化させる。
  • 微生物:酢酸菌(Acetobacter属、Gluconobacter属)等が優勢になる。
  • 発酵:前段階で生成されたエタノールが酢酸菌によって酢酸に代謝され、酢酸の濃度が上昇し、pHはさらに低下する。また、残ったミューシレージの分解も進行し、風味の複雑さに寄与する揮発性化合物も生成される。

3.コーヒー豆内部での化学的変化(間接的および直接的影響)

発酵は主にコーヒー豆の外側のミューシレージで行われますが、生成された化合物は豆内部にも影響を与えます。

  • 有機酸の浸透:発酵中に生成された乳酸や酢酸などの有機酸は、豆の内部に浸透し、豆の内部のpHを低下させる。この酸性化は、豆内部の酵素活性や、焙煎後のコーヒーの酸味に影響する。
  • 豆内部の酵素活性:発酵環境の変化(pH、温度等)は、コーヒー豆自身が持つ内生酵素(ポリフェノールオキシダーゼ、ペルオキシダーゼ、グリコシダーゼ、プロテアーゼ等)の活性にも影響を与える。これらの酵素は、タンパク質や炭水化物の分解に関与し、焙煎時の風味前駆体の形成に寄与する。
  • 風味前駆体の生成:ミューシレージの分解によって生成された様々な代謝産物や、豆内部の酵素の働きによって、焙煎時にコーヒー特有の風味を生み出すための前駆体(アミノ酸、糖、フェノール化合物など)が形成される。

4.コーヒー豆の発酵に影響を与える要因

コーヒー豆の発酵の質と進行は、様々な要因によって影響を受けます。

  • コーヒーチェリーの品種:品種によってミューシレージの組成が異なるため、発酵の基質となる糖の種類や量が変動します。
  • 精製方法:ウェット、ドライ、ハニー等、精製方法によって発酵環境や基質が異なります。
  • 微生物叢:コーヒーチェリーや発酵槽に存在する微生物の種類と割合が、発酵の過程と生成される化合物を左右します。近年では、特定の微生物を意図的に接種する試みも行われています。
  • 発酵温度:微生物の活性に大きな影響を与えます。一般的に、高温ほど発酵速度は速くなりますが、望まない発酵も生じる可能性もあります。
  • 発酵期間:ミューシレージ除去の程度や、豆内部の化学変化進行度合いに影響を与えます。

5.コーヒーの風味への影響

コーヒー豆の発酵は、焙煎後のコーヒーに複雑な酸味、豊かなボディ、多様なアロマを与えるために不可欠です。生成される有機酸の種類や量によって、コーヒーの酸味の質(爽やかな酸味、乳酸由来のまろやかな酸味、酢酸由来の刺激的な酸味など)が変化します。また、揮発性化合物の種類やバランスが、コーヒーのフローラル、フルーティー、ナッツのような様々な香りを形成します。

まとめ

コーヒー豆の発酵は、ミューシレージの除去と風味形成に不可欠な生化学的プロセスです。多様な微生物の働きによって、ミューシレージの糖が様々な有機酸、アルコール、揮発性化合物へと分解され、コーヒー豆の内部環境にも影響を与えます。発酵条件を適切に管理することで、風味豊かなコーヒー豆が醸成されます。

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