「エールは酵母が浮く上面発酵、ラガーは酵母が沈む下面発酵」という分類方法は、誤りとは言えないものの発酵中の酵母の挙動を正確には説明していません。どちらのビアスタイルでも酵母は液面付近で発酵し、最終的に酵母が全く沈降しないことはありません。「浮遊因子」「凝集因子」「酵母種」に着目し、エールとラガーのビアスタイル分類を考察します。
1. 浮遊因子
- 発酵中の酵母の浮遊は、主に酵母が生産する二酸化炭素(CO2)によって引き起こされます。酵母細胞の表面にCO2の泡が付着することで酵母細胞の比重が麦汁/ビールよりも小さくなり、その浮力によって酵母が麦汁の表面に移動します。これが上面発酵酵母が発酵中に液面付近に集まると言われる機序です。
化学的条件
- 温度:高温(エール発酵温度)帯ほどCO2生成が活発になり、酵母の浮遊が促進されます。低温(ラガー発酵温度)帯ではCO2生成が穏やかもしくは発酵自体進まず、浮遊も抑制されます。
- 麦汁の粘度:麦汁の糖度が高い(粘度が高い)と、CO2の気泡が抜けにくく、酵母をより長く浮遊させる可能性があります。
- CO2の溶解度:低温ほどCO2は液体に溶けやすいです。ラガー発酵の低温では、生成されたCO2の一部が溶け込み、泡として酵母を持ち上げる力が弱まる要因になります。
2. 凝集因子
発酵が進み、酵母が代謝可能な成分が枯渇、もしくは、エタノール濃度に耐えられなくなる等、酵母にとって環境が快適ではなくなると、酵母細胞同士が集まり、タンクの底に沈み始めます。この細胞が集まる性質が凝集です。下面発酵という伝統的な分類は、この凝集の仕方にも着目する必要があります。
化学的条件
- カルシウムイオン(Ca²⁺):カルシウムイオンは、酵母細胞表面のフロックリンタンパク質を架橋する役割を果たし、細胞同士の結合を強めます。麦汁中のカルシウム濃度が低いと凝集性が低下します。
- pH:麦汁やビールのpHも凝集性に影響を与えます。発酵が進むとpHは低下し、pHが低いと凝集性が低下する傾向があります。
- 温度:低温帯(発酵可能温度帯未満)は、酵母の凝集が促進される傾向があります。
- 資化成分:酵母が資化可能な糖質を消費し尽くし、窒素(アミノ酸等)等の栄養が枯渇すると、凝集が誘導されやすくなります。これは、増殖を終えた酵母が環境の変化に対応するための生存戦略と考えられています。
3. 酵母種
上述の浮遊因子および凝集因子に対する応答は酵母種によって傾向に差があります。
- 上面発酵/エール酵母(Saccharomyces cerevisiae)
- 通常15〜25℃程度の比較的高温な発酵温度帯が選択されます。エール酵母は低温帯では代謝能が著しく低下するためです。
- この温度帯では、酵母の代謝(エタノール発酵)が活発で、CO2の生成速度も高い傾向です。
- 活発なCO2生成により、多くの酵母細胞が泡と共に表面に持ち上げられ、厚いクラーゼン(Krausen:発酵中に液面にできる泡や酵母の層)を形成します。これが上面発酵の典型的な状貌です。
- エール酵母の凝集性は株毎に多様で、凝集性が高くラガー酵母のように速やかに沈降する株もあれば、凝集性が低くビール中に長く懸濁したままになる株もあります。
- 下面発酵/ラガー酵母(Saccharomyces pastorianus)
- 通常8〜15℃程度の比較的低温な発酵温度帯が選択されますが、高温帯でも発酵は可能です。この温度帯が選択される理由は、望まない微生物の繁殖を伝統的に抑制可能だったからです。
- 低温度帯発酵時
- 代謝速度が低く、CO2の生成速度も穏やかなため、上面発酵程ではないですが、発酵のピーク時にはラガー酵母でもCO2によって浮き上がり、ある程度のクラーゼン(泡や酵母の層)を形成します。
- CO2が液体に溶けやすいため、生成されたCO2が泡にならずに液体中に留まる割合も高くなります。
- 高温度帯発酵時
- 問題なく発酵可能なため、この場合は活発なCO2生成により、エール酵母同様「上面発酵」します。
- CO2の溶解度は低くなり、生成されたCO2が酵母に付着する割合も高くなります。
- ラガー酵母株は凝集性が高いため発酵中でも沈降する傾向があり、相対的に下面発酵と認識されます。凝集性は、酵母細胞表面に存在する特定のタンパク質(特にFLO遺伝子群によってコードされるFlocculins)によって仲介されます。ラガー酵母は、これらのタンパク質の発現や性質が、低温でも効率的に凝集するように進化していると考えられます。
まとめ
酵母の浮遊と凝集はCO2の生成速度と酵母の凝集能が鍵です。低温度帯発酵能と高凝集能を有するラガー酵母(Saccharomyces pastorianus)が発見、低温で利用され続けられたことによって、下面発酵という領域が新たに開拓、分類されることになったと考えられます。