紹興酒(しょうこうしゅ)は、中国浙江省紹興市で伝統的に造られる黄酒(ホワンチュウ)の一種で、その特徴香は、原材料、複雑な製造工程、そして長期にわたる熟成工程における化学変化に由来します。
紹興酒の主な特徴香とその由来
紹興酒の香りは「陳香(ちんこう)」と表現され、以下のような風味から構成されます。
- 熟成香(酸化エステル香):紹興酒の最も特徴的な香りで、乾燥フルーツ(プルーン、レーズン)、ナッツ、カラメル、醤油、みりん、蜜、あるいは熟した果実のニュアンスを含みます。これはエステル化、酸化、メイラード反応、ストレッカー分解など、様々な化学反応が複合的に起こることで生成されます。
- 穀物香/麹香:原材料のもち米や麦麹に由来する香ばしさ、甘い穀物のような香り。
- 芳香族香:クローブやシナモンのようなスパイス香、あるいはハチミツのような香り。
- 酸味と旨味:香りだけでなく、アミノ酸や有機酸による複雑な旨味と酸味が、風味の奥行きを支えます。
1. 原材料とその寄与
- もち米
- デンプン:主な糖源で、麹菌による糖化を経て、アルコール発酵の基質となります。
- タンパク質・アミノ酸:もち米に含まれるタンパク質は、発酵・熟成過程で分解され、アミノ酸やペプチドとなり、これが香りの前駆体(特にメイラード反応やストレッカー分解の基質)や旨味成分になります。
- 麦麹(麦曲(きょく)、酒薬(しゅやく))
- 酵素の供給:大麦と水、酵母、カビ(主にAspergillus oryzaeなどの糸状菌)を混ぜて作られる麦麹は、非常に重要な役割を担います。麹菌はデンプンを糖に分解するアミラーゼ、タンパク質をアミノ酸に分解するプロテアーゼなど、多種多様な酵素を大量に生産します。
- 香りの前駆体:麹菌自体の代謝によって、微量の複雑な香り成分や、それが熟成で変化する前駆体も生成されます。
- 発酵微生物の供給:麹には、酵母や乳酸菌、酢酸菌など、発酵に必要な様々な微生物が含まれています。
2. 製造工程における変化
紹興酒の製造は、日本の清酒と同様に並行複発酵(デンプンの糖化とアルコール発酵が同時に進行する)という複雑なプロセスを経ます。
- 浸漬・蒸煮
- もち米を水に浸した後、蒸してデンプンを糊化させます。これにより、酵素が作用しやすい状態になります。この段階では、まだ特定の香り成分は生成されません。
- 麦麹と酵母の添加
- 蒸したもち米を冷まし、麦麹と水を加えてタンクに入れ、酵母を添加します。
- 一次発酵
- デンプンの糖化:麦麹のアミラーゼがもち米のデンプンを分解し、グルコースなどの糖類を生成します。
- アルコール発酵:生成された糖を酵母がアルコールと二酸化炭素に変換します。
- 酸の生成:乳酸菌や酵母の働きにより、乳酸やコハク酸、酢酸などの有機酸が生成されます。これらの酸の一部は、後のエステル生成の前駆体となり、香りのバランスに寄与します。
- 初期エステルの生成:発酵初期段階で、酵母は酢酸エチルや酢酸イソアミルなど、比較的軽いフルーティーなエステルを生成します。
- アミノ酸の生成:麹のプロテアーゼがもち米のタンパク質を分解し、アミノ酸を遊離させます。これが熟成香の前駆体となります。
- 濾過
- 主発酵が終わると、もろみを絞って原酒を分離します。
- 加熱殺菌(パスチャライゼーション)
- 濾過後、一度加熱殺菌することで残存する微生物の活動を停止させ、品質の安定化を図ります。この加熱処理が、メイラード反応の初期段階を促し、香りの複雑化に寄与します。
3. 熟成工程における変化
紹興酒の最も特徴的な「陳香」は、数年〜数十年にわたる長期の熟成によって醸成されます。これは、非常に複雑な非生物的・生物的化学反応の集合体です。
- エステル化反応
- アルコールと有機酸が反応し、エステルが生成・増加します。紹興酒の熟成香の核となるプロセスです。
- 例えば、乳酸エチル(乳酸とエタノールの反応)は、甘く、熟成香や古い紙のような香りに寄与します。
- 酢酸エチルや酢酸イソアミルといった軽いエステルは徐々に減少し、より重く複雑なエステル(コハク酸ジエチル、カプロン酸エチル、酪酸エチル等)が増加します。
- 酸化反応
- 貯蔵中の酸素との緩やかな接触(完全に密閉されていない甕など)により、アルコールやアミノ酸、その他の成分が酸化されます。
- これにより、アルデヒド類(例えば、古酒特有の熟成香)、ケトン類などが生成され、ナッツやシェリーのような香りが生まれます。
- ただし、過度な酸化はオフフレーバー(酢酸、不快な酸化臭)の原因となります。
- メイラード反応
- アミノ酸と糖が反応し、褐色色素(メラノイジン)とともに、様々な複雑な香気成分が生成されます。加熱殺菌で初期が促進され、熟成中の微弱な反応でさらに進行します。
- カラメル、パン、ロースト、醤油、麦芽のような香りに寄与します。
- ストレッカー分解
- アミノ酸が、メイラード反応の中間体や他の化合物と反応し、アルデヒドを生成するプロセスです。これがナッツや穀物のような香りの一部となります。
- アルコールの変質
- アルコール自体も時間とともに熟成し、より円やかで複雑な風味に変化します。
これらの発酵と熟成中の複雑な化学変化によって紹興酒特有の「陳香」が形成されます。