アサヒスーパードライの歩みを年表形式で確認し、その一杯に込められた情熱の軌跡をたどります。
1980年代前半:アサヒビールの危機と市場調査
- 1980年代初頭:日本のビール市場は、キリン、サッポロ、サントリーなどの大手メーカーが鎬を削る「戦国時代」に突入。しかし、各社のビールは似たような風味で差別化が進まず、消費者のビール離れが始まっていました。
- 1985年:アサヒビールの市場シェアは業界最下位の10%前後まで落ち込み、倒産寸前の危機に瀕していました。この窮地を救うべく、同社は大規模な市場調査を開始。「本当においしいビールとは何か?」を徹底的に探求します。
1987年:アサヒスーパードライ誕生!「辛口」という新ジャンル
- 1987年3月17日:アサヒスーパードライ、ついに発売開始!調査で判明した「キレのある、すっきりとした味わい」を追求し、日本初の辛口ビールという新ジャンルを確立しました。従来のビールとは一線を画す革新的な味わいは、発売前から社内でも賛否両論を巻き起こしましたが、経営陣はこれを「社運を賭けた挑戦」として発売に踏み切ります。
- 1987年4月:発売直後から、その斬新な味わいが消費者の間で評判を呼び、爆発的な売れ行きを記録します。生産が追い付かず、店頭から商品が一時的に消えるという、まさに「スーパードライショック」と呼ばれる社会現象を巻き起こしました。
1988年以降:業界トップへの躍進と進化
- 1988年:発売からわずか1年で年間販売数量が1,350万ケースを突破。アサヒビールの市場シェアは急回復し、業界の勢力図を塗り替える存在となります。
- 1990年代:アサヒスーパードライの成功に触発され、他社も「ドライビール」を発売。日本のビール市場は「辛口」ブームへと突入し、消費者の好みが多様化するきっかけを作りました。
- 2000年代以降:グローバル化の波に乗り、世界80カ国以上で販売されるグローバルブランドへと成長。日本国内でも、常に最高の品質を追求し、製造技術や物流体制の改善を続けています。
- 2022年:アサヒスーパードライ生ジョッキ缶を発売。自宅でも店のような本格的な泡を楽しめるユニークな製品として、再び大きな話題となりました。
アサヒスーパードライの歴史は、単なるビール製品の成功物語ではなく、日本のビールトレンドを一変させた歴史でもあります。